まずは迫力満点の動画をどうぞ!
高所恐怖症の方は見ないで!
登山の動画って今までなら同行するカメラマンが必要で単独撮影なんて絶対無理!
ましてやゴジラの背みたいな危険な場所で上からカメラ回すなんて・・・
誰かがドローン使って撮る以外絶対無理でしたが・・・・・!
なんと360度カメラを使うと一人でこんな迫力の動画が撮れるんだって!(驚!)
彼女編集センスも抜群ですね!恐れ入りました!
高山の切り立った尾根ってこんなに小さく割れた岩だらけになってるとは・・・
森林限界を超えたら草も生えないので岩盤は割れないと思ってましたが・・・
岩の隙間の水分の氷結膨張で毎年徐々に割れて行くんだね!危険個所も年々増えるって事?
いずれ数千年後にはゴジラの背も崩れて剣山みたいな走れる稜線になってしまうんでしょうか?
まだまだ先まで尾根の縦走路は続いていると言ってますね~!
【この動画は高天原や邪馬台国の解明の鍵となるかもね!】
剣山からの縦走路って昔は四国全域の尾根に張り巡らされていたほんの一部なんじゃね?
四国山脈の尾根縦走路っていわば日本の【インカ道】みたいな周辺国への伝達道だったりして!
南北2000km以上も整備されていたインカ道より四国山脈の尾根の縦走路は簡単に出来たでしょう!
剣山への登山口として賑わっていた今や廃寺寸前の龍光寺!
四国山脈の尾根を焼く山焼きも縦走路の保全も兼ねていたりして?
もしかしたら‥‥
高天原って紀元前にアークを担ぎ上げたユダヤ氏族イザヤ一族が造り上げた山上国だったのかも!
しかしイザヤの末裔は王族では無いのでエルサレムに似た土地を探して諏訪に移った可能性も!
守屋山の西麓信州辰野辺り?
だってエルサレムって海抜735mなんだよね!長野県諏訪湖とほぼ同じ・・・・(後述)
住み慣れた高地生活を忍んで蒸し暑い日本じゃ~高地に住みたくもなるよね!
とにかく剣山が高天原の第一候補にはなり得ますね!
剣山山頂にソロモンの財宝が隠されていると伝えられています!
アークも一緒に
今までは邪馬台国として八代市を第一候補の上げてきましたが・・・・
確かに魏の短里(76m~77m)だと沿岸航行での7千余里(約535km)の航行では・・・・
帯方郡から狗邪韓国まで届きませんので・・・・・
どうやら魏志倭人伝の行程距離は現地毎に計測による直線距離だったと決定して良いでしょう!
私は宮崎市から都城市一帯が邪馬台国だと思っていたのですが・・・
今までは減算方式で比定していたので【不彌国】から1300余里だと思ってましたから・・・
(12000-7000-1000-1000-1000-500-100-100~1300)
都城は候補地から外さざるを得ませんでした!
改めて邪馬台国の条件を設定すると・・・・
(1)帯方郡より直線距離で1万2千余里(約912km~924km)
(2)海に面していること!徳島県美浜には真珠取りの海女がいた!(現在も)
(3)朱(丹)の原料【辰砂】を採掘・精錬した場所がある
(4)東の海を渡った1千里先には倭国以外の国が!
(5)周囲5千里(380km)=1250里四方(=約95km四方)
(6)伊都国又は不彌国の南にあった!
(7)邪馬台国北方は詳細に把握可能!その他の国は【遠絶】していて詳細不明!
残念ながら以前前否定した【八代市】は近過ぎて失格ですね!ましてや【吉野が里】も!
奈良県の【纏向遺跡】も遠過ぎて失格!近畿説は成立しない事は明らかにまっちゃいました!(笑)
更に当時の帯方郡が北朝鮮の何処にあったも未確定なので謎の解明を難しくしています!
直線距離で帯方郡から1万2千余里なら確かに阿波の国=徳島県も候補となります!(1)クリア
真珠取り【美浜の海女】の存在で(2)クリア
祝詞の筑紫の日向の橘の小戸の【阿波岐原】も【阿波の萩原】だったてか?
若杉山辰砂採掘遺跡は卑弥呼の贈った朱(丹・辰砂から)の大規模産地だった訳だし(3)もクリア!
東の一千里先には紀伊半島が・・・(4)もクリア
四国山脈の山岳民族国家なら・・・(5)もクリア!
残りは(6)(7)だけ
卑弥呼の没後倭国大乱で後を継いだのが壹與(とよ・いよ)ですが・・・
伝説の踊り歌通り剣山の祭女だったりしてね!
でも投馬国(つま=辺境)を香川県に比定したのは大間違い!(失笑)
香川県に投馬国が存在してて船で行けるなら・・・
航海中に途中から1月もわざわざ苦労して陸行するより船で行きますよね!(苦笑)
投馬(つま)国は簡単明瞭!薩摩=「さ(西)・つま(辺境)」だったって事です!
研究者や歴史学者先生はこんな単純な事に気が付かないのかね!(大苦笑)
卑弥呼の百歩の塚を1里300歩として100歩を直径25.5mにするのも飛躍し過ぎ!(失笑)
動画では無理やり宮崎の対岸に船を着けて陸路にしてるんだけど船でもっと近くまで行けるよね!
全体的に良く出来ていたのに残念!
さらにこの徳島説動画の問題点は・・・
魏志倭人伝では明確に【伊都国or不彌國の南】と明記されている事です!
それまで方位の測定も正しいと言っておきながら【不彌国】の東じゃ説得力ゼロでしょ!
都合の良い事だけ言っってたんじゃ説得力無いもんね!
近畿論も九州説も皆我田引水で矛盾点を説明出来ないから今でも百科論争の謎なんだけどね!
【不彌国】から続く・・・邪馬台国への【水行10日・陸行1月】をどう読み解くかですが・・
投馬国(=薩摩から)更に南は太平洋上で論外!起点をどこにするかです!
宗像に着いてから一度陸行して再度航行するってのはどうなんでしょう?
私は邪馬台国まで一貫して船旅だったのではないかと思いますね!
起点が伊都国にしろ不彌国からにせよ南に水行10日は投馬国への半分!ほぼ宮崎付近になります!
しかし【不彌国】の南で宮崎から南で陸行1月(1日8kmでも240km)も掛かる場所なんて・・
残念ながら宮崎周囲には存在しません!宗像に戻っちゃいますから・・・
ですが・・・水行10日又は陸行1月と解釈したら・・・
帯方郡から1万2千余里は徳島だけじゃなく宮崎が俄然最有力候補地となります!
直線距離なら宮崎県~都城市は7万戸に相応しい候補地として浮上します!
そもそも島津家の分家に過ぎない北郷義久が都之城(宮崎県都城市都島町)を名乗れたのか?
【都】の古名が通称だったからなのでは?じゃないと尊大な名前を付けられ筈がないもんね!
おまけに宗像市を起点とするなら正にドンピシャで陸行1月だしね!
でも残念なことに宮崎も倭国を治めるには遠過ぎですし東側は海で条件に合致しませんし・・・
(7)の北方は詳細に戸数・道里を記述出来るには広大過ぎます!
しかも南は狗奴国と記載され、宮崎説では南は投馬国=薩摩ですから宮崎説も失格!
邪馬台国への【水行10日陸行1月】は全行程と解釈するのが一番答に近づく方法なのかも?
帯方郡から宗像まで水行10日!宗像から宮崎・都城へ1月の陸行なら問題化解決して・・・
神武東征も史実化出来るんだけど・・宮崎の邪馬台国⇒伊都国⇒樫原!残念!
結局振り出しに戻っちゃいましたね!(大苦笑)
剣山といえばソロモンの秘宝【聖櫃】=”失われたアーク”ですよね!
3種の神器ってユダヤのソロモン家と日本の天皇家だけ!
3種の神器を治めた聖櫃が行方不明になったのは紀元前586年の【ソロモンの神殿破壊】前!
紀元前722年には分裂した北イスラエルがアッシリアに滅ぼされてしまってます!
神武天皇即位は紀元前660年!神武東征では八咫烏が吉野越えを先導し勝利に貢献!
阿波の吉野川も意味深ですよね!聖櫃が関係?
神輿を剣山山頂に担ぎ上げる
神輿=聖櫃のレプリカ!
高天原は聖櫃を担ぎ上げた剣山を中心に山上集落として存在していた可能性は高いでしょう!
ソロモンの神殿は意外と小さく長さ約=27mx幅=約9m(15間x5間)150畳なんですよね!
聖櫃を納めた至聖所は5間(9m)の正立方体!日本の神社の原型も5間四方だったのかも?
剣山山頂にも建てられる大きさです!
天皇家と密接な関係があるのに隠蔽された阿波の国!どんな人達が日本を動かしているのやら!
諏訪神社は徳島県多祁御奈刀彌神社(=元諏訪神社)から779年に分祀された神社ってんだから・・
阿波と諏訪には知られざる密接な関係が!
諏訪神社はユダヤとの関連行事も多くエルサレムってモリヤ山麓ですが諏訪本宮の後ろは守屋山!
しかも諏訪湖ってエルサレムとほぼ同じ標高だってんだから・・・
イザヤの末裔(神官)が聖櫃と一緒に諏訪に移住したと考えて間違いないでしょう!
多祁御奈刀彌神社は西の宮+東の宮が!諏訪大社には上社(西)と下社(東)が!なるほど納得!
意外と諏訪神社を調べると牛馬もいない山上国だった邪馬台国の秘密も解けたりするのかも?
でも剣山は戦前まで女人禁制でした!
邪馬台国だったら卑弥呼が剣山に住んでいたなら山頂で祭事を行ってんだろうし・・・
いつから剣山は女人禁制になったんでしょうか?
645年の大化の改新で【穢れ】思想が主流になったからなんでしょうかね!
で・・・既に聖櫃が移されていた諏訪に779年正式に分祀されんじゃないのかな~!
諏訪湖の湖底には四方形の物体が・・・・・神渡りも聖櫃のパワーだったりして?