第一章 ジョン・F・ケネデイとマリリン・モンロー

 

1962年8月5日、一人の女優が全裸でこの世を去った!不審な最後でした!

日記もFBIが押収した通話記録も失われ・・・・・自殺とされた人物こそ 

 

 

今なおセックス・シンボルとして世の男性を魅了し続けているマリリン・モンロー(本名、ノーマ・ジーン・ベイカーNorma Jeane Baker)でした!

 

亡くなる3か月前の1962年5月19日のJ・F・Kの45歳誕生パーティで唄った余りにも妖艶しいハッピーバースディが最後の別れを告げる歌だったのか?

これを最後にマリリンモンローが公式の場に出る事はなかった!

Happy Birthday の後に唄われた 

Thanks, Mr. President

For all the things you've done

The battles that you've won

The way you deal with US.Steel

And our problems by the ton

We thank you so much

は、今にして思えば意味深な歌なんですね!

US.Steel(J・P・モルガン財閥)とあるのは、ストライキが頻発していた鉄鋼業界の賃上げ闘争や値上げを終息させた事を指しています。賃上げ闘争による度重なる値上げでインフレが起きようとしていた!大統領斡旋で1962年3月の賃上げは生産性の伸び以下に収まったが、1962年4月10日アメリカ鉄鋼生産最大シェアのUS.steel会長ロジャー・ブラウは“株主の為だ”値上げを強行しようとした!他の鉄鋼会社も値上げに同調したが、ケネデイは激昂し、値上げ阻止の大演説を打ち政府調達は値上げ前の金額にする等矢継ぎ早に対策を講じたので、値上げしない鉄鋼会社も出て、最終的にUS・Steelも値上げを撤回した!=US・Steel(J・P・モルガン)も敵になった

 

この時のドレスは薄地にライト・ストーンで仕上げたヌーディドレス!しかも彼女は下着を全く付けてない!(ウォ!)

 

  誕生パーティ後の打ち上げでのスナップ!↑ J・F・Kも目のやり場に困ってた?

だけど、マリリンは笑顔じゃありませんね!まるで下を向いたJ・F・Kを責めてるような!

同時に撮られた他の写真では、にこやかに微笑んでいるのに!

 

ちなみのこの誕生パーティにマリリンが出るのを知ったジャクリーン夫人は欠席!

マリリン・モンローが亡くなって一年半後、ジョン・F・ケネデイも、テキサス州ダラスで凶弾に倒れる事になるのですが・・・・

 

マリリン・モンローは1961年3度目の相手アーサー・ミラーと離婚して独身!

マフィアと関係の深いフランク・シナトラの紹介でJ・F・Kと知り合ったとされています!

 

マリリン・モンローは朝鮮動乱時に、韓国にジョー・デマジォと兵士慰問に出かけており彼女の突然に死に多大な影響を受けた元兵士もいたでしょうね!

 

このマリリン・モンローの怪死が、ケネデイ暗殺の引き金の一因になったと考えて良いのではないでしょうか?

 

今ではマリリン・モンローは自殺する要因は無かったと言われています・ケネデイとの問題以外に・・・・・

当時弟の弱冠37歳ロバート・ケネデイは 、司法長官(就任時は35歳)としてマフィアと対立を深めていました!

就任早々、1961年4月4日にはマフィアNO1のカルロス・マルセルを国外追放に!

まるでケネデイ家の暗部を抹殺するが如く!

アイゼンハワー来日に日本のヤクザを総動員して治安を守ろうとした日本も同じ様に今は暴力団として敵対関係になってますが・・・・当時のアメリカもマフィアとFBIやCIAは微妙な関係だったのでしょう!

 

しかし、政治家としては素人である35歳の若造が68歳のフーバー長官を従え様とするなんていかに制度上は可能とは言え、帝国と化したFBIを配下にする事が、FBIを私物化していた彼の激怒を呼ぶか考え付かなっかんだろうか?

 

マフィアとの関係が深いフランク・シナトラマリリン・モンローとの関係を断つように兄・ジョンを説得した事でJ・F・Kとマリリンの破局が訪れたと言われていますが・・・・勿論・入れ知恵したのは、政界スキャンダルを握っていたFBIのフーバー長官でした!

 

1961年11月(前月)にCIA長官アレンダレスが解任されたので危機感を抱いたフーバーは、1961年12月12日・14日と2回もロバートと面会してます!

どんな内容だったかは1961年12月19日父親のJ・P・ケネデイがロバートからの電話を受けて脳卒中で倒れた事で想像出来ますよね!

フーバーが盗聴した”父親が今もマフィアコネクションを使っていた証拠”を上げて責め立てたのに違いありません!

父親を生きる屍(しかばね)にした事でJFKとロバートの間に隙間風が吹き出したのかも

 

この誕生パーティの2か月前、1962年3月22日にJ・F・Kとフーバー長官との二人だけの4時間に亘る昼食会が行われた!

多分、ケネデイ家のスキャンダル情報を廃棄する事等を条件に、FBI長官の椅子を確約させたんでしょうね!

これ以降、J・F・ケネデイの女漁りは影を潜めたと言われています。

マリリンの死後、ジャクリーン夫人との関係も修復されたのでしょうか

62年暮れに、ジャクリーン夫人が4人目パトリック(早産で死去)を3年ぶりに懐妊!

 

上のバースディパーティ後のスナップ写真が急に距離を置き始めたJFKを責めてる様に取れるのも、この会談の結果なのかも・・・・!

 

FBIからのリークは無くなりましたが冷たくなったJ・F・ケネディに当てつける様に煽情的な衣装や歌は世間の話題に成り、追いつめられたマフィアがJ・F・Kとマリリンの関係を取引材料として”マスコミにリークする”と言って来るのは時間の問題でした!

 

誰もが認める有名なセックス・シンボルとの不倫は、J・F・Kに対する評価を一変させますからね!名も知れない女性との不倫とは比較に成りません!

 

この不審死は、誰かがJ・F・Kに恩を売ったんでしょうね!

 現役の大統領を暗殺する位の組織が一女優を死に至らしめるなんて簡単ですから・・・・・・様々な自殺要因が報道されましたが全部偽情報だった!

 

しかし、後顧の憂いが無くなったと勘違いした?ロバート司法長官は父親やJ・F・Kが親しかったマフィアとの関係隠蔽の為、対決姿勢をより鮮明にします!

全米トラック組合(IBT)のドン・ジミーホッファを最初の標的にして・・・・しかし逆に暗い過去を蘇らせる事になって暗殺の標的に・・・・

 

JFK暗殺直前には、マフィアの財源を断つ為、ラスベガスのカジノに一斉査察する計画を立てていた!(暗殺で中止)

万が一、手入れでFBIやCIAとの関係証拠が見つかったら・・・・ロバートが再度フーバー長官の辞任を迫ったり、CIAの弱体化に走るのは確実ですからね(実際にJ・F・KはマクナマラにCIAに代わる情報機関設立を考案させていました!)

ロバート・ケネデイを司法長官に任命しなかったら、J・F・K暗殺事件は起きなかったかも知れませんね!

なぜか敵を新たに創るだけだったんだから!もっと上手く立ち回っていたら、FBIも、もっと真剣に犯人捜しをしていたでしょう!

そして、マリリン・モンローが不審死を遂げる事も無かった・・・・・・

 

ケネデイ暗殺事件後、ロバートは司法法長官として留任しながら目撃者の保護もせず独自の調査もしなかった! 彼が動かなかった訳は?

 

しかし、J・F・Kには弟のロバートを司法長官にせざるを得なかった理由が有りました!

禁酒法時代に財を増やした父親(ジョセフ・P・ケネデイ)とマフィアとの深~い汚れた関係を表に出させない為に!

隠蔽するには敵対する事ですから、最初はわざとマフィアと対決するポーズを取ったんでしょうね!

ケネデイ政権発足当時は、マフィアとコンタクトが有ったのですから・・・・

辞任させようとしたフーバー長官に指摘されるまでは!

しかし、政府の組織は一旦命令して動き出したら止めようが有りません!

トップ同士は了解していても、それを知らないマフィア組織の末端は”恩を仇で返す裏切り者”と怒り心頭ですよ!

 

マフィアもFBIもCIAも、全てを牛耳ろうとするケネデイ一族への反発が強まって行きます!

前アイゼンハワー大統領時代にCIAが画策したキューバ侵攻(1961年4月15日)を許可するも正規軍の投入を拒否!亡命キューバ人の恨みを買っていた

(キューバ革命は1959年1月1日!キューバ・バハナ等各地ののホテル・カジノの所有者はアメリカのマフィアだった!国有化され多大の損害を受けたアメリカのマフィアも政権奪回を目指す亡命キューバ人を支援していた!

舞台も役者も揃いました!”J・F・K暗殺の悲劇”が幕を上げます

この誕生日パーティの1年前、1961年4月12日ガガーリン少佐が人類初の有人宇宙飛行に成功し、同年5月25日に夢物語と言われたアポロ計画を発表しています!

”ケネデイ暗殺はUFOの真相を国民に公表しようとしたからだ!”なんて話も有りますが真実の目くらましによく使われるプロバガンダの類でしょう・・・・・続く