共同創業者のウォズニアックが開発した8ビットのホームコンピュータApple II(1298ドル)で大成功を収めた後、1979年ゼロックス社で開発中のGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェースの略)に感銘を受けたジョブスが開発を始めたが、オフィス向け16ビットコンピュータLisaプロジェクトでした!

しかし、ジョブスのあまりの歯茶目茶な開発要求で大混乱を起こし、初代CEOマイケル・スコットに

(1983年1月発売約1万ドル)

Lisaプロジェクトを外されてしまいます!

 

じかし、ジョブスは1979年に入社したジェフ・ランキンが細々と開発をしていた個人向け16ビットコンピュータMachintoshプロジェクト(約2500ドル=当時の日本では約60万円もした!Apple IIの約2倍!)に割り込み、7種類のフォントを組み込んで現在のDTPの基礎を造り出したのです!

ここでも挫折を成功の基にしてしまう強運に恵まれていますね!

 

アップル社が大混乱に陥った原因の一つには1981年2月にウォズニアックが飛行機事故で2年間休職した事にもあるのですが・・・・

  

タイミングに恵まれているかの様に、3.5インチフロッピーデスク(FD)が1980年にソニーから発表されていました!

左から8インチ、5.5インチ、3.5インチフロッピーデスク

 

Machintoshの端正なデザインが生まれた最大の要因と言ってもいいでしょう!

ジョブスもこの頃のソニーの技術力・開発力を称賛してましたね!世界一のセールスマンと謳われた盛田昭夫氏に売り込まれたのかもね!ジョブスが盛田昭夫に多大な影響を受けたのはアップルも正にソニーと同じ様な生い立ちだっことも関係しています!

 

休題

この頃のSONYは、まだ、今のアップルの様に飛ぶ鳥を落とす勢いだった!

SONYは井深大と盛田昭夫と前田多門で設立さてました!

対比してみると、井深大=スティーブ・ウォズニアック盛田昭夫=スティーブ・ジョブズ、前田多門=マイク・マークラですもの!

しかしジョブスがMachintoshの開発に明け暮れている最中1982年に、ウォークマンを出したSONYの3代目社長技術者出身の岩間和夫が死去してしまうのです!

後を継いだのが、ななんと東京芸大出身の大賀典雄だったのが、ソニーの開発力凋落の第一歩となりました!

トランジスタ・ラジオやトリニトロンブラウン管・ベータ方式のビデオ機器・ウォークマンと大ヒットを連発してきたSONYが技術集団から大企業になった瞬間とも言えるでしょうね!

以後、SONYはエンターテーメント企業に邁進していく事になります!

 ちなみに「SONY」はラテン語の「SONUS」と英語の「SONNY」から採ったと言われています!

それからのSONY製品で世界を驚かせる画期的製品が出せなくなった理由は事業が多角化し、開発に集中して資金が投じられなくなったからではないでしょうかね?

社長に芸大出身者を選んだ時点で、新製品に社運を懸けるほどの気力も熱意も無くなってしまったからでしょう!

私は良くも悪くも、SONYの経営陣が"Stay hungry , Stay foolish"じゃ無くなったからだと思いますね!

昔は、今のアップルと同じ事を目指していたのですが・・・今や二番煎じの企業に成り下がってしまいましたよね!

 

高額の役員報酬をもらう今の業績優先のストリンガーじゃSONY再生なんて夢のまた夢かも!

「SONY」同様ホンダも同じですが大企業化して儲け優先!アイデンテーテーを失った企業は魅力を失ってしまいますから!

ジョブスが後を託すCEOを早めに決めた事はSONYの轍を踏むってメッセージなのかも!

閑話休題

 

5.5インチFDに比較して高価だった3.5FDを採用したジョブスの美意識の高さはここでも発揮されていますね!もっともアップル社製5.5インチFD装置がうまく動かなかった事も理由ですが結果的にはこれが成功の鍵となったんだから・・・・

LISAに遅れて1984年1月に発売になったMachintoshは7万台を売るヒットとなります!以後発売されるパソコンはこの影響で全て3.5インチが標準装備となるのですが・・・冷却ファンの装着を認めなかった所為で夏に熱暴走が多発!爆発的大ヒットを期待した1984年のクリスマス商戦は惨憺たる結果となってしまう・・・

 

しかしジョブスの冷却ファンとの戦いは壮絶ですね!だけど信念を曲げることはありませんでした!商業的には失敗だったファン無しのG4CUBEまでは!

これはあくまで空冷エンジンに固守した本田宗一郎と相通じる点ですね

 

ジョブスをLisaプロジェクトから外したマイケル・スコットは、ジョブスとマイク・マークラによって1981年7月10日にアップル社を去る事になります!

CEOには次期CEOが見つかるまで取り合えすマイク・マークラが就任するのですが、ジョブスが白羽の矢を立てのが斬新なアイデアでペプシコーラを首位に押し上げたジョン・スカリーでした!18ヶ月に及ぶ三顧の礼に1983年アップル社のCEOに就きます!

 

5インチFDで苦労していたオフィス向けコンピュータのLisa(メモリー1MB)も直ぐに3.5インチFDになりますが、Machintoshもさすがにメモリが128KBではまともに動かず512KBにアップされます!

 

ジョブスがLisaプロジェクトを外されなかったら、Machintoshが3.5インチを採用したかどうか?それより発売になったかどうか?

 

ちなみにLisaプロッジェクトの「Lisa」は認知で裁判中だったジョブスとナンシー・ロジャーズとの間に生まれたの娘の名前!後に9歳年下のローレン・パウエル結婚後認知はするのですが

常人じゃ認知裁判中の娘の名前を開発プロジェクト名にするなんて有りえませんよね・・・奇人ジョブスらしいと言える逸話・・・

 

Machintosh128kは当初7万2千台売るヒット作品となりますしたが、もさすがにメモリが128KBではまともに動かず512KBにアップされますが大量の在庫を抱える事に!ジョブスを排除して開発したLisaも高価過ぎての販売低迷も影響して1984年赤字決算になります!

 

後に伝説となる卒業式のスピーチ

 

を行ったスタンフォード大学のポール・バーグ教授から1984年高性能のワークステーションの開発を依頼されていたジョブスが新プロジェクトを立ち上げようにも、業績悪化をジョブスの責任にされ社内で誰も相手にする状態では有りませんでした!

 

リストラを余儀なくされ混乱するアップル社の責任を取らされる形で、三顧の礼で迎えたCEOのジョン・スカリーに全てのプロジェクトを外され絶望していたジョブスは、とうとう1985年9月12日自ら辞表を提出し、新しいワークステーション開発を目指して9月13日に自分が創業したアップルを去る事になります!

1985年2月6日にはウォズニアックも退社していたので、apple創業の最大功労者の二人がアップル社からいなくなっってしまったのです!

(しかしまだ創業者の一人マイク・マークラが経営陣に残っていました!あとあとジョブスの復活にマイク・マークラが寄与した事は想像に難くありませんね!ジョン・スカリーは1993年6月18日に業績悪化の責任を取って辞任します!)

 

ジョブスは1株を残して全アップル株を売却、NeXT社を創業します。翌年にはピクサー社を買収してCG映画をディズニーに売り込み大成功を収めてしまいます!

そしてバーグ教授の願い通りに1988年ワークステーションNeXTcubeを発売します!

後のG4cubeの原形になる訳です、がNeXTcube発熱が大きくジョブスの理想とするG4cubeの様にファン無しでは有りませんでした!大きさも30cm角!

ジョブスはなぜMachintosh128k以来30cmに拘るのでしょうね!初代imacも!多分デスクトップとして使うには一般的90cmx60cmの机での使用をイメージしていたのかも!

1990年にはNeXTstationを発売!OSであるNEXTSTEPも1994年にサン・マイクロシステムズSun Microsystems)と共同開発したOPENSTEPに受け継がれ、その洗練された先進性は20年経った今でもOSXとして使われています!

つまり、全ての大失敗が後の大成功の糧となっているって訳!正に七転び八起きの人生!

 私生児として生まれ、学費にも困窮して大学も中退し、創業した会社から愛想を尽くされ、普通の人間だったら一つでも投げやりな人生になっても仕方ないのに!

しかも権限を剥奪されても、アップル社の会長として悠々自適の人生を送れたのですから!

技術的には天才ウォズニアックには足元に及ばないし、経営もCEOを雇わなくてはまともに出来なかった男がなぜ最後には偉人として大成功出来たのでしょう?

それは”自分の直感を信じて行動した”としか言いようはないでしょうね!

 ジョブスは、時代を先取りする感覚が人一倍優れている由に何かに没頭していないと気が済まない頑固なワーク・ホリックの天才だったとも言えるでしょう! 

 

 1966年ジョン・スカリーの後釜に座り、互換機ライセンスを推進してきたCEOマイケル・スピンドラー(マイク・マークラの友人)がアップル売却交渉の責任を取って辞任します!後任はやはりマイク・マークラと親交が深かった再建屋の呼び声が高かったギル・アメリオが就任!Macの次期OSとしてOPENSTEPの採用を決定しNeXT社を1997年2月に4億2900万ドル+ジョブスへのアップル株150万株で買収する事になるのですが、ジョブスと意見が合わず1997年7月辞任、ジョブスが暫定CEOとして快進撃の幕が開く事になりましたが、ジョブスがアップルを去ってから12年の歳月が過ぎ去っていました!

こうやって一連のアップル社の変遷を眺めると、創業者マイク・マークラが実際の会長だった様な気がして来ませんか?

 

それにしてもジョブスのアップル復帰のタイミングも絶妙ですよね!運の良い事に、その間CPUの速度も劇的に向上し、メモリーの価格も大幅に下がって来ました!

インターネットは大々的に普及しはじめ、大容量ハードデスクもUSBもCDも使え劇的な変化を生む次期に!高価なNeXTcubeでは遅かった演算処理さえ普通のパソコンでも十二分に動作可能のレベルになっていたのですから!

 

1998年今では当たり前になったUSBだけを採用したiMacを発売!

1999年iBook G3Power Macintosh G3

・・・・・

しかし21世紀になるとアルミボデイ一色になります!これもジョブス流の熱対策なのでしょう! 

特にG5の発熱は予想以上でした!発熱がひどくて、とてもG5をノートパソコンに使えないのでジョブスがCPUをインテルCPU採用に踏み切った最大の理由でしょうね!

ファンが沢山ついたPower Mac G5!さぞかしファンが嫌いなジョブスはがっかりした事でしょう!一応MacProとして残っていますが、2003年6月以来、亡くなるまでデスクトップ・パソコンでiMac以外の新筐体が出る事は有りませんでした

最後まで己の美意識に拘ったジョブスに敬意を表すと共に、新しいiPhone5に期待しましょう!合掌!