魏志倭人伝にちゃんと書いてあります!帯方群から卑弥呼の邪馬台国までの距離が!

 

郡よりその北岸狗邪韓國に至る七千余里 

12,000余里-7,000余里=5,000里+-

 

始めて一海を渡ること千余里、対馬國に至る

5,000里-1,000余里=4,000里+-

 

又南に一海を渡ること千余里、.....一大國に至る

4,000里1,000余里3,000里+-

 

又一海を渡ること千余里、末盧國に至る

3,000里1,000里=2,000里+-

 

東南のかた陸五百里にして、伊都國にる(到着の到を使用!ここまで来た事は文面から確実)

2,000里-500里=1,500里+-

 

東南のかた奴國に至ること百里 (文が無いので紹介文では?とも)

1,500里-100里=1,400里+-

 

して不彌國に至ること百里。(伊都國の後の紹介記述は伝聞とも解釈も出来ますね!)

1,400里-100里=1,300里+-

 

南のかた投馬國に至る。二十日。←これが問題!

不彌國(伊都國起点とする方が自然です)から投馬國までは水行二十日かかるのでしょう。(畿内派の方は、行文があるので実際に行ったとの根拠にしてますがね)

 

 

南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。.......七萬余戸有り。女王國より以北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして得て詳らかにすべからず。

(北は女王国に統属されていたが、邪馬台国の南は遠く情報が無いと書いていますね!ということは邪馬台国の南は山岳地帯か海ということですよね!) 

 

次に斯馬國有り。次に己百支國有り。次に伊邪國有り。次に郡支國有り。次に彌奴國有り。次に好古都國有り。次に不呼國有り。次に姐奴國有り。次に対蘇國あり。次に蘇奴國有り。次に呼邑國有り。次に華奴蘇奴國有り。次に鬼國有り。次に為吾國有り。次に鬼奴國有り。次に邪馬國有り。 次に躬臣國有り。次に巴利國有り。次に支惟國有り。次に烏奴國有り。次に奴國有り。此れ女王の境界の尽くる所なり。

その南に狗奴國有り。男子を王となす。その官に狗古智卑狗有り。女王に属せず。郡より女王國に至ること萬二千余里。

 

残り約1300里に水行10日陸行一月も掛かるのでしょうかね?この日数の解釈は常識的に全行程でこれだけ掛かったと解釈すべきですよ!

 まして投馬國までの水行20日をプラスしたらわずか1300里(約100km)を水行一月陸行一月も掛かる事に!無茶苦茶なでっちあげですよ!年金の試算並み!(大笑い)

 

消去法で投馬國までの定期航路が不彌國から出ていたと解釈して良いと思いますね。

(但し、伊都國から邪馬台国までの距離を記述したとすると水行で10日又は陸行で一月となると話は別になります!伊都國から投馬國までの半分は水行10日大分県にその名も中津(市)があります) 

 

邪馬台国は不彌國伊都國起点でも同じから約1300里(約100km)のところにあった!と記述されているのですから、畿内(奈良県?)なんて残念ながら有りえません!

 

基準となる距離は対馬國から一大國までの距離から3割増しまでの距離としますと

 

対馬から壱岐まで約75km=千余里ですから、3割増しは97.5km以下で邪馬台国!

伊都國までしか実際に行かなかったとしても約1,500里以下=112.5km以下!

 

邪馬台国は不彌國や伊都國から約100km圏内にあったになりますよね。

(奴國までの距離を入れても入れなくとも大差無い)

 

これは動かせない絶対的基準なのですが、勝手に水行20日陸行一月も掛かるとは!自分勝手な解釈以外の何物でも無いのにね~(大笑い)

勝手に解釈する人は、魏志倭人伝自体が信用してないのも同じなのに!

 

福岡付近が伊都國であった事には、九州説畿内説とも、皆様異論が無いようなので、福岡を起点に100km付近の南から東の間を探索してみては如何でしょう?

 

この間しか邪馬台国は存在していません! 

(東南が東に近い方位、私の感覚では東より東南の間はすべて東南で、南とは東南から南までの間の方位全てを記述しているのではないかと?)

天草も長崎も範囲外になります。

↑福岡から半径100km以内に!黄色い線が100km!(直線距離で70~85kmではないでしょう?)

実際の道のりは直線では無いので1500里=112.5kmも範囲内に!

 

山門郡もぎりぎり入りますね!記紀に登場する山門!秘匿された何かが臭いませんか?

 

邪馬台国畿内説を唱える学者さんがいること自体信じられませんよね。

どうして残り1300余里で畿内までたどり着けるんでしょうね(大笑い)

四則演算が出来ない学者さんには、小学校で算数の再学習が必要かもね(大笑い)

 

           **  探索  ** 

 例えばちょっと近いですが日田市!卑弥呼の墓らしき大きさの墳墓が!おまけに中津市との間に耶馬渓もあります。(耶馬渓は後から付けられたとの話・なんで邪馬なのか釈然としませんが)

拡大↓

 

以死大作冢徑百餘歩=半径100歩の”冢”を作る 円墳!↑の写真は日田市の丸山(月隅山)、戦国時代城に改造されたがまぎれも無い円墳!(私の最有力候補)

 

例えば熊本北熊本サービスエリア傍の弁天山と二塚山、合志塚も有ります!一緒の時代ならひょっとして!距離も直線ならぴったしなんですがちょっと遠いかな!

 

貴方も福岡から60~100km圏内の円墳らしき岡を探索してみてはいかがですか。

世紀の大発見になるやも知れませんよ!(笑)意外と無いのに唖然となさるかも!

 

とにかくヒントは魏志倭人伝に!伊都国と邪馬台国を結んだ後方は峻嶮な山か海!

邪馬台国の統治範囲は北から北西の間です。

宇佐や大分、別府には円墳が見当たりませんでした。

卑弥呼の後を継いだのは台与とよ)!豊の国の始まりだと思いません!

豊の国の中心こそ邪馬台国なのでは無いでしょうか?