第4章 謎は解明不能?

1)米軍が墜落位置確認
たまたま横田基地上空で着陸を待っていたC130輸送機でJAL123便を追っていた米軍は、すぐさま墜落位置を確認!救助ヘリコプターを現地に急行させましたが、残念な事に突然の帰還命令が出されます。
(注)
このことは米軍に一旦否定されましたが、10年後に本当だったと認めています!
突然の帰還命令は、放射能物質の貨物搭載が判り隊員の安全を優先したからでしょうか?
この米軍海兵隊の帰還も、口塞ぎだなどといった隠蔽説を補強する事になります。
米軍の協力を拒んだ原因は、色々とネットで言われていますが、当時の自衛隊には夜間飛行出来るヘリコプターが無かった事が理由の一つに挙げられています。
夜間飛行出来ない軍用機なんて何の為にあるのやら!実戦には程遠い装備だったんですね(苦笑)
ましてや事故現場が入間基地の近く!米軍が救出したら、自衛隊の面目丸つぶれです。

2)墜落位置誤報発生
正確な墜落地点情報がありながら、なぜか墜落地点の誤報が発生!
月の無い暗闇でホバリング出来なかったとか、ヘリコプターでは救助は無理だったとか
照明弾の使用は山火事を発生させる危険性があるので無理だったとかの意見もありますが、事故現場は火の海だったのですから、この意見には賛同しかねますね!位置確認信号発信器は落とせた筈です!
そもそも、夜間飛べない軍用機なんて無用の長物です。相手は待ってくれませんよ!
これも、当時中曽根首相だった政府の放射能汚染状況確認の為の時間稼ぎ説を呼ぶことになります。
この説は当たらずも遠からずでしょう!陸上自衛隊の待機命令とも符合しますし、2次災害の危険があるからと自衛隊のヘリコプターも墜落地点確認の為公式には一回のみしか飛んでいませんし、!
朝日新聞社のヘリコプターが必死の夜間飛行で墜落地点を突き止めたのに、本社が誤報に惑わされ再度確認に行かせる不手際も!
落合さんが墜落後周りの生存者の声を聞いた後、気を失い再び目覚めた時に暗闇で聞いたすぐ傍まで飛んで来たヘリコプターの音は、この朝日新聞のへりの音だったのでしょうか?それとも米軍のヘリの音だったのでしょうか?それとも自衛隊のへりだったのか!
川上さんは光が見えたと言っていますから、米軍のヘリだった可能性が高いでしょう!
しかし、米軍が救援ヘリ自体を否定した事で、彼女たちに聞き分けてもらう事は出来ませんでした。


3)救助活動待機
放射能汚染が心配されるので、発信機、救助隊に信号弾や照明弾が使って墜落場所を教えても、安全も確認出来るまで、どのみち自衛隊は動けなかったのですから。
悲惨な現場写真を勇気をもってご覧になった方はいかにすざまじい事故だったか認識して戴けたでしょう!
夜を徹して救助に向かった陸上自衛隊員に到着後、待機命令が出ていた事も、いらぬ憶測を呼ぶ原因となりました。
一部の特殊部隊が、生存者を見殺しにして放射能測定に向かったとか、証拠隠滅に動いたとか!
まったく納得できない混乱したとされる時間帯=21時から翌朝5時までの8時間(墜落からに10時間)が、放射性の積み荷の安全性を確認する時間帯と合致してしまうのです。
実際に積み荷の放射能物質の安全性?が確認されたのは墜落度10時間経過した明け方でした!
時間が懸った本当の理由とは、実際に現地での放射能測定を特殊部隊が行う為の時間稼ぎだったのではないのでしょうか?
専門家が現場も観ずに勝手に判断できる筈もなく、判断出来たなら10時間もの時間が必要とされないからです。

4)生存者救出
安全宣言後も自衛隊に待機解除の伝達が遅れ、地元消防団が待ち切れず登頂開始し、墜落現場に一番乗りして、落合由美さん、川上慶子さん、吉崎さん親子の四人が奇跡的に生存し救助されました。
4名の奇跡的生存者の証言も闇から闇へ!証言を精査し、相模湾から崩落した垂直尾翼部を回収していれば、こんなにネット上で陰謀説が繰り広げられることもなかったでしょう!

5)事故総括
自衛隊の撃墜説は小説の世界でしょう。しかしそう思われても仕方がない位、釈然としない謎が残っていますよね。
これだけ問題が指摘されていたのに事故調査資料は2000年に破棄され、再調査の必要を頑として認めない事はケネデイ暗殺事件のウォーレン報告書を連想してしまいます。

結果として、大都会近郊で未曾有の放射能汚染の危険があった必死の操縦技術で飛んでいた飛行機が、助かる寸前!飛行場にわずか3~4分の距離まで近づいたのに、人里離れた山中になぜか飛んで行ってしまった事に、後味の悪さは残りますね。

そして、放射能物質さえ積んでいなければ、より多くの人たちが救われた可能性が大きかった事故でした!

ボーイング社が早々に圧力隔壁の修理ミスを発表したことも、論争に火に油を注いでいます。
原因追究が長引けば、その間の商談で不利になったのは明らかですから。

尾翼部の劣化ウラン重しは昇降舵の8個の内5個が回収され、今も3個45kgが御巣鷹の峯に、方向舵の劣化ウラン重し120Kgは崩落した尾翼部と一緒に相模湾の海底に眠っています。

この事故を教訓に、その後ボーイング社の機体には劣化ウランは使われていません!

  ここまで読まれた方お疲れ様でした!いよいよ最終----->第3部完結編に続く
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このブログは8月12日まで加筆、修正しながら御巣鷹の尾根への鎮魂歌として捧げます。

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