江戸前といえば寿司と鰻の蒲焼!
特に寿司は、江戸開闢以来、江戸の台所を支え続けた日本橋魚河岸の賜物!

日本橋
明治・大正と江戸時代から脈々と繁栄していた日本橋魚河岸ですが・・・
日本橋魚河岸2
日本橋魚河岸1
大正12年9月1日の関東大震災で日本橋魚河岸が壊滅!
日本橋魚河壊滅2
いや~凄い惨状ですね!これじゃ後片付けに一ヶ月以上掛かって商売なんて出来ませんわな!
日本橋魚河壊滅
でも、9月17日には早くも芝浦で仮市場を開き、江戸っ子の心意気を見せ付けました!
4年後の昭和2年(1927年)に、汐留貨物駅から程近い築地にあった外国人居留地の1万2239坪を取得して
当時最新鋭の鉄道貨物主体の受入態勢を備えた築地市場にまるまる移転したのが始まり!
自前で土地を取得して、本格的建造開始は昭和8年から!
海運から、鉄道を使った陸運への大転換でした!まだ日本の大部分が舗装もされてなく、車で運んだら時間も読めないくらいスピードは出せない悪路と埃で品物が傷む時代ですから、トラック輸送の時代になるとは誰も思いもしなかった!
確実に到着する鉄道を最優先したのは、最善の選択だったのですが・・・・・・・
築地市場建設中5
築地市場建設中1
築地市場建設中2
築地市場建設中3
工事は鴻池組!足場も丸太と竹!命綱もなし!まさに腕と度胸の男の世界!
築地市場建設中4
築地市場建設中
昭和10年(1935年)「東京中央卸売り市場築地本場」として竣工式を迎えました!
築地市場竣工式
今の基準じゃ不衛生だなんていわれてますが、当時は鉄道の引込線を施設して貨車から直接セリに出す効率的で新鮮を売りにした最新の冷凍設備を備えた東洋一の最先端の大市場でした!
扇型に作られた市場は、搬入を外側に配された桟橋と鉄道から、お客は内側からと非常に斬新な設計でした!

築地市場建設中6
しかも、都心屈指の繁華街となる銀座からわずか1kmの距離に広大な敷地を確保出来た!
都電が縦横に走ってた時代ですから・・・大繁盛!

勿論、採れたばかりの新鮮な魚の荷揚げも桟橋から行われてました!
築地市場桟橋昭和13年昭和13年頃!
終戦でGHQに接収され、クリーニング工場や病院・GS等が設けられました!
築地市場GHQ時代
昭和22年には捕鯨船からの陸揚げもGHQに認められ、徐々に正常化!
築地市場桟橋昭和47年
昭和29年に第五福竜丸の水爆実験の放射能で汚染されたマグロでセリ中止になった事件がありました!
築地市場昭和29年第五福竜丸マグロ事件1
30m離れでも検知するほど強い放射線ですが、防護服も無し!あっという間に100ミリシーベルト?
汚染マグロは、鳥インフルエンザの鶏みたいに築地の地下に埋められた訳ですが、実際は被爆した漁船は第五福竜丸だけではなく、なんと【1423隻】にも登りましたが、アメリカとの関係と風評被害を恐れた政府が完全隠蔽!
南太平洋で操業してた多くの被爆漁船は、補償もないので廃棄させられることなく市場に出しちゃった!

丁度この頃(昭和29年3月)には、平和利用に限定した原子力研究開発予算が国会へ提出された時で、
広島・長崎での原爆の悲惨さを知った
日本国民を、実験の被爆が原因で再び総国民を核アレルギーにさせる訳にはいかない事情もあった!
また、人気球団を持つ読売新聞の社主・正力松太郎(初代科学庁長官として原発導入を推進)がGE製原子力発電所の建設に人一倍注力してましたからね!
テレビも無い時代に他のマスコミも大々的に反核キャンペーンを出来なかった!
なにせ、翌昭和30年には原子力基本法が成立!
これ以降日本の9電力+電源開発が水力から原発へシフトする事になるのです!
そんな裏事情もあって、何も知らされない津々浦々の日本国民の多くが食して被爆しちゃったんだわさ!
なにせ、放射能汚染は目に見えないんだから・・・・
高齢者に多かった胃癌や大腸癌も、ひょっとしたらこの時の汚染魚を食した被爆が影響してたりしてね!
もしそうなら、昭和22~23年生まれの団塊の世代までは胃癌や大腸癌が癌が多いけど、徐々に乳癌や前立腺癌に移行したりして!
・・・・・余談はこのくらいにして・・・・・・
昭和51年頃の保冷庫の中!今じゃ考えられない凄い霜ですね!

築地市場冷凍庫内昭和51年
理想の市場でしたが、昭和39年(1964年)に開催された東京オリンピックを契機に大変革が始まりました!
前年に名神高速道路や堀を利用して突貫工事で作られた首都高速道路が完成し車社会の足音が・・・・
昭和44年(1969年)には東名高速が開通し、一般道の舗装も急ピッチで進められて行きました!
凸凹の悪路に悩まされてスピードも出せなかった国産の貨物車も性能が飛躍的に向上が加速し、生鮮食料品等のトラック輸送への移行可能になって来ていました!
但し運賃が高かったのと高速道路は東名・名神だけでしたから中・長距離はまだ国鉄の貨物輸送に依存している状況でした!
しかし、昭和30年(1955年)には、貨物輸送の52.8%を締めていた国鉄(現JR)は度重なる【スト権奪回スト】と人件費の高騰による値上げで、顧客離れをおこし、中距離シェアをトラックに長距離輸送は海運に奪われ、オリンピック後の昭和40年(1965年)には30.8%!昭和45年(1970年)には18.1%、昭和50年(1975年)11月26日~12月3日間の【スト権スト】の前年には13.9%にまで低下してしまいました!
ストの度に築地市場では、生鮮食料の大幅な値引きを余儀なくされていました!
しかしスト権ストで、国鉄の貨物列車がストップ!完全に信用を失った国鉄の貨物輸送は引導を渡たされ主役の座は完全にトラック輸送へと移っていく事に!

貨物を遅延させ損害を与えていながら、何の補償もせずイデオロギー闘争に明け暮れていた戦後結成された国鉄労組が全ての元凶でしたが、戦後の軍隊消滅で復員兵を国鉄が大量に雇ったことにも影響してるんでしょうね!戦後思想の自由がアメリカの作った憲法で保障されし・・・・
せめて貨物列車だけでも動かしていれば、これほどまで鉄道の貨物量が減る事もなかったでしょう!
民営化によってストも無くなり、今後も続く深刻な運転手不足の影響で、長距離はJRコンテナ、中・短距離はトラックと住み分けが出来そうですが・・・・・

総評が行った国鉄主体の【スト権スト】は完全に時代錯誤で、代替トラックの手配も事前に行われ築地市場でも大きな混乱も起きず、トラック輸送に切り替わる口実を与える事になっただけで、信頼を完全に喪失し国鉄解体・民営化へ突き進むことになっっちゃっいました!

意外ですが、海運のシェアが上がったんですね!これは国鉄が生産性向上が貨物運賃の大幅値上げをしたので、大量に使う製品の多くが、消費地近くに倉庫を利用しても船便を使う様になったからでしょう!
海外からの製品輸入が増えて来たのも逆転した一因でしょうけど・・・

その後、中央高速だけが紆余曲折で昭和57年(1982年)と成りましたが・・・東京市場駅(築地市場)までの引込線は昭和59年(1984年)2月に廃線となりました!
昭和39年(1964年)の東京オリンピックから、丁度20年が経過していました!


昭和60年(1985年)には関越自動車道路、常磐道が、昭和62年(1987年)には東北自動車道が完成!長距離もトラック輸送が主役に!
鮮度物では勝負にならず、折角の築地市場の引込線も無用の長物となって効率悪化を招くことに!
さらに、トヨタジャスト・イン・タイム方式を真似る企業が続出!益々鉄道輸送のメリットを失わせる結果となってます!
そんな訳で、鉄道貨物最優先で造られた当時では最先端だった築地市場ですが、30年以上も前に最初の構想とはかけ離れた時代遅れの市場に成り果ててしまったていたんですね!
しかし、お客の便利さが失われた訳では無かったのです!なにせ1箇所ですべて揃うんですから!
国鉄の貨物輸送も、時代に即して進化していれば、又違った展開になっていたでししょうね!
晴海に有った国際展示場跡地が築地の移転先になれなかったのは・・・・・単に敷地が狭かったからですが
4階建て以上にすれば簡単に出来た筈なんですがね!
そもそも、築地から移転するには、あまりにも築地市場の立地条件が良過ぎたんですわな!

土壌汚染で延期された豊洲市場への移転ですが・・ようやく安全宣言が出されて・・・・・
10月6日のセリを最後に、83年間の歴史に幕が下り、同日午後から4日半での引越しが始まりました!
築地市場では水産物部558業者、青果部101業者=約650!来場者一日4万人以上!


まだまだ搬入の車は慣れてないので混乱してたみたいですが・・・・・大混乱にはならず
10月11日早朝、無事に初セリが開始されました!


なにせ、原爆マグロが埋まってた築地市場!衛生面では劇的に良くなった!
但し、まだアクセスが貧弱・・・・・直行便は【ゆりかもめ】だけだけど、日中は混んでるし・
・・
まだまだ一般客が気軽に行ける場所じゃ無いようです!
豊洲市場アクセス
新橋から【ゆりかもめ】で27分といっても待ち時間や歩く時間も入れたら40分!二の足・三の足!

1編成306人(座席116人、立ち席182人)~352人(座席170人、立ち席182人)
最短で4分間隔ですから、1時間の搬送人数は最大でも5280人!
豊洲市場開場前でも座れない状態だったのに・・・・・
築地市場の来場者は1日4万人以上でしたから、輸送能力も全く足りません!
それじゃ車で行こうと思ってもしばらくは都心から一本しか道路もないし周りに駐車場もない!阿呆か!
築地みたいに、しょっちゅういける場所になるにはもっと公共アクセスの向上が必要!
いずれは新しい交通手段も造られるんだろうけど・・・・・・・
問題は水産物部と青果部が1kmも離れている事!築地みたいに簡単な買い物は無理なんですね!
顧客が、登録してる車で移動したくても、駐車場が足りません!
お客をお客と考えなず顧客の動線分析もせず、設備優先で買い物を無視した設計をするからですよ!
業者もお客も楽に商売出来た斬新な築地市場の設計者とは雲泥の違いなんだわさ!
豊洲市場が築地市場みたいに繁盛するかどうか微妙ですね!
わざわざ床を波打たせたり・・・・
豊洲市場床
こんな馬鹿な設計したのは誰だっけ!
大手設計が斬新な設計なんて出来る筈ないんだよね!完全にプラン・ミス!
80年も前に、斬新なアイデアで築地市場を造った昔の人は偉かった!