京都=平安京=エルサレムで毎年7月17日に行われる祇園祭の山鉾巡行は超有名ですが、同じ日に剣山山頂への御神輿担ぎ上げる『山頂神輿渡御祭』が行われていた事は余り知られていません!
剣山神輿渡御祭1
今では、全国の祭同様、平日に行う事が難しくなった為に、『山頂神輿渡御祭』も7月17日以降の日曜日になっちゃいましたが・・・・・

『神輿』は、ソロモンの神殿に安置されていた聖櫃(せいひつ=アーク)を模したものと言われています!
聖櫃
『聖櫃』には2つのケルビムが乗っていると云われていますが、『神輿』は一羽の鳳凰が一般的です!模造品なので半分にしたんでしょうか?
この奇祭は、その昔、『ソロモンの神殿』が破壊される前に、預言者イザヤによって聖櫃』持ち出され遥々日本の剣山に運び上げられた名残だとの指摘が絶えません!
しかし現在のイスラエル・エルサレムからでは地中海へ逃れる筈で、インド洋海路を使って聖櫃と一緒に日本まで来る航海をするには地理的に整合性が取り難い!

ソロモンの栄華と言われる莫大な富を得るには、破壊される前の最初のエルサレムは海路交易の中心地だった筈で・・・・
モーゼに率いられ40年も荒野を彷徨ったにしては現在のイスラエル・エルサレムはエジプトからは近すぎるので、どうして40年間も掛かるのかと私も疑問に思っていました!もし、アラビア半島西岸の南端当たりなら納得ですね!
北イスラエル王国が紀元前722年に滅亡したのに、ユダ王国が紀元前586年まで
136年間も存続で出来たのも謎の一つでした
北イスラエル王国と南ユダ王国の首都は相当離れていたと考えると存続出来た謎も解消します!
丁度、この時代に一人の偉大な預言者『イザヤ』がユダ王国に居たと旧約聖書は書き記しています。紀元前700年前後、イザヤが南ユダ王国の滅亡を予知し、聖櫃とダビデの子孫を引き連れて東方の神国・日本を目指したとするなら・・・・・最初のエルサレムは今のメッカ近郊だったりして
ソロモンの神殿
ソロモンの全盛期には、今のシリア・ダマスカス以北まで支配が及んでいました!
だとしたら南はアラビア半島全域でしょう!

バビロニア捕囚から開放されたユダ王国の人達がエルサレムに何十年も掛かって再建したとされる「ゼルバベルの神殿」最初のソロモン神殿跡では無かったのかもしれませんね!再建ならそんなに時間が掛かる筈もないので!
しかも、現在のエルサレムは高地にあり、ソロモンが華を極めた交易都市としては相応しくありません!
どちかというと防御を固めた防塞都市でしょう!東は死海ですし・・・・
そんな場所にソロモンが宮殿を建てたんだろうか?
今、エルサレムにある神殿跡は、バビロン捕囚後に再建された跡地とされていますが、
北・南王国とも滅亡に追い込まれたユダヤ民族としては、安置する『聖櫃』も無いので堅固な都市を新しく造ってその中心の『ソロモンの神殿』を復活したんじゃないのかな~!
徹底的に破壊された都市を70年後に再建するなら新しく造った方が速いんじゃ?
ソロモンの栄華時の様に莫大な運送費を出せる筈も無く、レバノン杉を大量に使う『ソロモンの神殿』を再建するにはレバノンに近い場所として現在の場所が新エルサレムとして選ばれたんでしょう!
では、アロンが導いた簡単に攻めて来られない『安住の地=エルサレム』とはどこか
気候が温暖で、北・東・南東は砂漠地帯で、西は紅海を隔てて荒野が続く自然要塞化した海上交易に便利な場所がアラビア半島西岸に有ります!
3ソロモンの神殿

ソロモンの神殿1
『ソロモンの神殿』の内寸は、長さ60キュビト(25.68m~26.7m)、幅20キュビト(8.56m~8.9m)、高さ30キビュト(12.84m~13.35m)とされていますが、3分の2(17.12m~17.8m)は礼拝堂ですから、残り3分の1が聖櫃が安置された至聖所でした!8.56m~8.9mの正方形です!なんとそれに似た超有名な建物が存在していたんですね!(1キュビト=42.8cm・44.5cm)
ソロモンの神殿』の『至聖所』って、サウジアラビアのメッカにある『カーバ神殿』に限りなく近い建物だったんですよ!
カーバ
カーバ神殿寸法

なるほど、なるほど・・・・マホメッドがメッカの前から有った『カーバ神殿』を359体の偶像を廃してイスラム教の聖地としたのか?よ~く判りました!
間違いなく『カーバ神殿』は
紀元前586年に破壊された『ソロモンの神殿』内にあった『至聖所』を模して建てられたんでしょうね!

70年後の紀元前516年から第2神殿として今のエルサレムに再建されたのですが、旧エルサレムが1200km以上も離れたんじゃ無理ないかも!
ソロモンの神殿や宮殿の記述では、レバノン杉の使用を強調されています!
レバノンと遠く離れていたからワザワザ記述して豪華さを強調したんじゃないのかな~!
そんな訳で、『ソロモンの神殿』=南ユダ王国は、紀元前586年に破壊されるまで、サウジアラビア西岸の南にあった可能性もありますね!

南イエメンには膨大な古代遺跡があります!ソロモンの栄華の痕跡なのか?
インターネットで情報を漁ると結構真実性がある様ですよ!

もっとも、一時的に剣山に運び上げられた『聖櫃』も、今は『マナの壷』・『アロンの杖』・『十戒の石版』別々の所に隠蔽されているんでしょうけど・・・・・

カゴメカゴメの歌は、聖櫃』の在り処を暗号化した歌とも・・・・
剣山の元の名は鶴亀山!剣山には鶴石と亀石があります!
夜明けの晩に鶴と亀がすべった、後ろの正面だーれ?
『夜明けに』じゃなくて、わざわざ『夜明けの晩に』してあるのは何故なんでしょうね!
『夜明け』とは『新しい時代が始まる』って事?
『新しい時代が始まる夜に、鶴石と亀石が崩れて 聖櫃が現れる』んでしょうか?

キリストがエルサレムのゴルゴダの丘で処刑されたので、パレスチナのエルサレムがソロモン時代のエルサレムにされちゃったのかもね!
ソロモン時代のエルサレムがアラビア半島西岸の南に有ったなら、本当に預言者イザヤが聖櫃を持って日本に来ている可能性は大です!インドまで季節風にのれば15日!1年も掛からずに日本に来ちゃうかも!
なにせ最初の国生みで生まれた島は淡路島(阿波への道=路)だし、伊耶那岐命はイザヤと想定すると、剣山への聖櫃担ぎ上げは本当にあったのかもね
いや~目から鱗だわさ!
聖書アラビア起源説!多くの異説情報にも真摯に目を通さないと!確かに一理有り!
http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/30431810.html
http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/30810502.html

メギド(ギリシャ語でハルマゲドン)もゴラン高原じゃないと良いのですが・・・

異論はさておいて・・・・・・・
日本の神社は『ソロモンの神殿』同様、教会と違って拝殿=聖所』と正殿=
『至聖所』に分かれています!
『ソロモン神殿』は、アブラハムが息子イサクを神に捧げたと言われるモリヤに造られました
奇祭と言えば日本最古の神社の一つとも言われる諏訪大社の勇壮な御柱祭も有名ですね!
諏訪大社の4社の中で一番古いのに一番ひっそりと佇む『前宮』
は守屋山山麓に造られ御神体も守屋(もりや)山です!
諏訪大社_前宮_正面
諏訪市は海抜750mで現在のエルサレム(海抜700m~)の高度に近いんですよ!
なんという符合!諏訪こそイザヤの末裔が捜し求めていた聖櫃を収める地だったのかも!諏訪って『言葉を取りに訪れる』って意味ジャン!
しかも息子を生贄として神に捧げる儀式まで存在しているのです!
神の言葉とは『十戒』!御神託や預言です!諏訪自体意味深なんですよ!
奇祭・御柱祭も、
大きなレバノン杉をエルサレムの神殿建設用に数万人で運んだ故事を今につたえているのでは!

諏訪神社前宮はそれこそモリヤに造られた『ソロモンの神殿』の再興なのかもよ!
諏訪大社_前宮_本殿
上は諏訪神社前宮正殿!失われたアークがいつの日か安置されるのでしょうか?
失われた聖櫃(アーク)には不思議な力が有るとされています!
諏訪大社の各社(やしろ)の4隅に立つ御柱はまるで避雷針!
しかも目の前の諏訪湖は中央構造線と糸魚川ー御前崎断層が交差する巨大パワースポット!伊勢神宮外宮さんも中央構造線の真上です
イザヤの末裔が聖櫃を隠すなら・・・・・やはりパワースポットを隠れ蓑にすると思うのですが・・・
遷座祭り1jpg
アークの行幸を今に伝える?諏訪大社の御遷座祭!
遷座祭り2
諏訪大社・本宮・春宮・秋宮の宝物殿には神輿だけが納められているとか!
聖櫃(アーク)に納められているのは三つ!十戒の石版とマナの壷とアロンの杖です!
しかし、別々に神輿に納めたとは思えませんね!
神輿と言えば、霊力があると信じられていた比叡山の神輿に矢を放った平清盛は一代で栄華を極めました!
清盛が崇拝した安芸の宮島・厳島神社もパワースポットですよね!
淡路島には
伊弉諾神社(イザナギ神宮になったけど)があります!
剣山と諏訪を結んだ先には・・と言うより伊弉諾神宮諏訪大社・秋宮を結んだ延長線上には・・・・・おやおや福島第一原発が
原発も巨大なエネルギーを生み出すパワースポットですからね~!
伊弉諾神宮は伊勢神宮と同じ緯度にあります!日本のレイラインの要とも云える神社なんですね!
興味があったネットを検索してみて下さい!