『戦艦大和』と兄弟船の『戦艦武蔵』がマイクロソフトの共同創業者アレン氏よって発見されましたが、それがキッカケで『戦艦大和』のプラモデルを造ろうとした訳じゃありません!

私は子供の頃から、プラモデルを造るのが好きで毎年車や飛行機などをひとつ以上造っていました。
『戦艦大和』の1/250を作成中に小さかった子供が触っって作業台から落ち粉々になったの契機に、子供が大きくなるまで大型模型の作成を中断することにしました。
やめると夜は暇になる訳で、暫くは夕食後パチンコに行っったりカラオケに行ったりしてましたね!
考えてみれば、大型のプラモデル作成は一番金の掛からない趣味なんですわな~!
気が付いたらなんと30年近くの歳月が!1980年代のプラモデルから比べるとすごく様変わりしましたね!
私達の世代が子供の頃は、動かしてなんぼの模型でしたが・・・・・
30年の間、買い込んだプラモデルは優に30を超え、このままでは造ることさえ危うくなるのは時間の問題となっちゃったんですね!

最近取り組んでいた旧型ワークステーションの爆速化も一種のプラモデル造りみたいなもんですかね!
最新型を買えば済むのに・・・・心の中ではプラモデル作成を望んでいたのかも!(苦笑)


『タミヤの1/350プレミアムヤマト』を大枚叩いて買いましたが、いやいやオプションを装備したらとんでもない金額になっちゃうし・・・・といって内部を作るわけでもないし・・・
『宇宙戦艦ヤマト』の大ヒットがプラモデルをデスプレイモデル一辺倒にさせちゃったといって過言ではないでしょう『宇宙戦艦ヤマト』は飛ばせっこ無いですからね!(苦笑)
デスプレイだけってのはどうも性に合いません!水場に浮かぶ『宇宙戦艦ヤマト』を作ってみたい気は有るのですが・・・・・!
今回のプラモデル再開の背中を押したのは、友人達が老人になり手も不自由になったり視力が落ちたりと作りたくとも造れない状況をみたから!
今までの作品を『コレクション』として店や事務所に展示したりしてますが日に当てると劣化の進行も早まるし
彼の子供達が余程好きでもなければ遺品として残すとは限りませんからね!
生きてる間、達成感に浸る気持ちも判るので・・・・・数十年間の腕前劣化は埋められそうも有りませんが・・・
そんな訳で、ボケ防止と手先の衰えを防止するにも意外と効果があるかも・・・・と
老骨に鞭打って再開する事にしました!
(笑)
再開モデルとして選んだのは・・・当然頓挫した戦艦大和!同じ造るなら中断時以上の大きなモデルです!

奮発して戦艦大和』の『日本プラモデル最高峰』を選択!
日本最高峰のプラモデルと言えば・・・・ニチモ(日本模型)1/200RC戦艦大和』
全長1315mm!
ニチモ1/200戦艦大和
タミヤが2011年に出した2万5千円超える『1/350プレミアム大和』が駆逐艦
に見える程の大きさ!
デテールではタミヤの『1/350プレミアム大和』版に敵うはずもありませんが、迫力では右に出る製品はありません!しかも浮かべてラジコン操船が可能です!
プラモデル作成を再開するには、一番ハードルが高いのですが一番やり甲斐があるともいえる製品です!
粉々になったのを買ったのは25年以上も前なので、それほど高くなかった筈ですが・・・・・
いまや入手するのには大変!
なぜなら・・・現在、ニチモ(日本模型)はプラモデルは造ってない!
残念ながら・・・・・もはや絶版品!RCモデルは7万円!
惜しまれながら、2013年にプラモデル事業を休止したニチモ日本模型!
いまや世界の『TAMIYA』となった田宮模型のプラモデル部門を一時休止にまで追い込んだほど日本プラモデルメーカーのリーデングカンパニーとして他を凌駕していた日本模型の工場跡はまさに『つわものどもの夢の跡』になっちゃいました!(涙)

3代続けば、会社は長続きするって言うけど、『日本模型・ニチモ』も実質三代目でその使命を終えましたね!
かたや・・どん底から不死鳥のように蘇った田宮模型は今や年商100億円を超え、社員も362名に!
田宮模型を休止に追い込んだのは1960年の日本模型製『戦艦武蔵』Vs田宮模型製『戦艦大和』の新製品対決!
その時は日本模型の圧勝でしたが、55年後はリベンジを誓った田宮模型の圧勝で決着してしまいました!
日本模型と田宮模型の差はどこで生じたのでしょう!タミヤもバンダイも玩具会社と連合を組んでました!
両者とも本社は栃木県佐野市と静岡県静岡市で共に地方でした!
一番後発の1967年参入のバンダイは本社が東京なので!
地の利を生かして宇宙戦艦ヤマトやガンダム等テレビのキャラクターで大成功!
今や総売上げは田宮模型の10倍の上場企業!


日本模型の最大の強みは金型設計から発送まで一貫生産出来る社内体制にありました!

これが最大の弱点になろうとは・・・・・・
ニチモ一社バンダイ東京連合軍タミヤ静岡連合軍!初戦は日本模型が連戦連勝の快進撃でしたが・・・・・まるで物量と情報戦に敗れ去った旧日本海軍にみたいですね!
第2次大戦に例えるなら『ファミコン』登場はまさに敗戦を決定的にした原爆でしょうか?
奢る平氏久しからずじゃありませんが・・・・プラモデルに見切りをつけたまでは良くても、付加価値の低い他の分野に進出した三代目の決定が本当に正しかったのか・・・・・・中小企業ってトップ次第で栄枯盛衰しちゃうんですね~!
日本模型VS田宮模型VSバンダイは、企業経営のケーススタデイになる事例ですよね!

同型の『戦艦武蔵』がフィリッピン沖で発見された現在、もしも日本模型の設計部が細々とでも継続していればもう一度プラモデル部門を生き返らせたかも・・・・・
1975年(マイクロソフト社誕生)でメーカの時代は終わりを告げ、2005年までソフトの時代に移行しました!
1983年任天堂の『ファミコン』発売で、子供達はプラモデルでの達成感を味あうよりゲームでの達成感へと移って行き、少子化の進行もあってプラモデル産業は完全に冬の時代に入ってしまった訳です!

日本模型もトップの代替わりと時期が重なったり、設計課長だった森恒英氏が退社したことが衰退の最大原因とも言われてますが・・・・・・・・もっとも売れる見込みのないメジャーじゃない軍艦の新規設計を中止したのは経営者の判断としては当然と言えば当然の結論なんですが・・・・優秀な技術者が流出し設計部門を廃止した後、一貫体制が仇になって他のメーカーの様に金型を起こせなくなってしまったので悪循環になったのでしょうね!
規模縮小は企業にとって一番大変な選択肢です!一歩間違えばジリ貧・廃業!
しかし1990年代後半から第2次プラモデルブームがやってきました!日本模型も設計部門が残っていれば、宇宙戦艦ヤマトやガンダム(バンダイが独占?)全盛時代にも違ったプラモデルを出し続けて今も『世界のニチモ』として残っていたのかも・・・・しかし新規開発力を失ったモデラー企業には未来は無かった・・・・・・
今、クラシックカーがブームです!億単位は当たり前!数十億円もの値で取引されいる名車モデルを金型を手直しして販売すれば世界中から注文が殺到するのに・・・
・・

そんな訳で、日本模型へのレクレイムも含めて、今も、日本プラモデル史上、最大にして森恒英最高傑作と言われている『1/200RC戦艦ヤマト』の製作に挑んでみようと思います!
幸い、武蔵も発見され、詳細な検証でよりリアルな船体を作る事が可能になりますし・・・・じっくりと作って行きたいと思ってます!

日本模型株式会社 ニチモ 
栃木県佐野市久保町135
(前身 1937年創業の『日本模型航空機工業』 創業者 江田彦八)
創業 1951年 創業者 江田信太郎
現在実質三代目が経営
2013年9月模型部門の休止を発表、分社化し解散手続き中?


ゲームもプラモデルも、より大きな、より難しいものに挑戦したくなるのは同じですが、プラモデルの達成感とゲームの達成感では、持続時間に大きな開きがあります!ゲームの達成感は刹那的過ぎます!
プラモデルは完成品を眺めるだけで達成感に何度でも浸れます!(笑)
また眺めれば眺めるだけ反省点を見出せます!
細かい所の出来具合を反省することで『失敗は成功の元』を実践出来ます!

また何度でも挑戦出来るゲームと違って、プラモデルのやり直しが困難な事は慎重さも確実さをも育てます!
ゲーム機より、好きなプラモデルを買ってやってください!子供は必ず好きなジャンルがある筈です!

技術立国日本の『もの造り』の楽しさを子供の頃から育てるって重要だと思いません?
バンダイ
(今やほとんどが中国製)が育てた出来合いの中国製ラジコンモデルも安いから無理か!(大苦笑)
とにかく、ファミコン世代は『人生も簡単にリセット出来る』と潜在意識に植え付けられているんでしょうね!
離婚や殺人が簡単に起こせるのもその所為なのかも・・・
プラモデル世代は、やり直しって以下に大変かって身を持って体験してるからね~!
戦艦大和を完成させるにはいかに情熱と
根気を持続させるのかです!
並大抵じゃ出来ませんから・・・・途中放棄に成らない様頑張りたいものです!