今や日本の国技と言うより横綱3人ともモンゴル人じゃ日本の国技の名は返上すべきでしょう!今や実質は”モンゴル大相撲”になっちゃた!
遠藤も負け越しちゃったし、日本人横綱復活への道は遠いな~!

我が日本とモンゴルは、義経=ジンギスカン(成吉思汗)の伝説があるくらいですから長~い交流があります!

成吉思汗は”吉成りて水干を思う”と読めます!高木彬光作の「成吉思汗の秘密」では”吉野山の誓い成りて我水干を思う」と解釈してましたが(水干は水に干した衣装の事ですが水干を着た男装の”白拍子40-a{=静御前等}”の代名詞でもあったそうな!)
当時の白拍子は遊女でも高級娼婦!もっとも夜のお相手は白拍子が選べたみたいですが!義経が母・常盤御前をも妾にした性豪平清盛と”祇王や仏御前”の逸話に感化されたのでしょうか、義経が会った静は当時”仏御前”と同じ16歳!そりゃ義経も熱くなっちゃんでしょうね!(笑)
高校生との援助交際やメイド喫茶が日本で流行るのも、静の怨念なのかもよ!
男女を問わず16歳を子供扱いしてる現在の日本はいかに老いた国かって事ですよ!
ちなみ頼朝の命で義経の正室になった郷御前も16歳で1184年9月に嫁いでいます!
義経はその時25歳、同年2月一の谷の戦い等で戦功を挙げ頼朝の代官として京都に滞在していたこの頃に静と知り合ったのでしょうか、白拍子に入れ上げてた義経を心配して頼朝が同じ年頃の美人と結婚させたのかもね!

義経と白拍子だった愛妾静御前との吉野山の誓いとは?頼朝の追討で逃避行の身となった義経と静御前(当時16~17歳?)が吉野山の吉水神社で落ち合い最後の別れになったと言われてますが・・・・別れにどんな事を誓い合ったのでしょうね!
成吉思汗は”なすよしもかん”とも読めます!kanにaを付ければ”かな
義経の子を身篭り身重だった静御前が捕えられ鎌倉に送られ頼朝の前で舞った時の歌が
「よしのやま みねのしらゆきふみわけて いりにしひとの あとそこいしき」
「吉野山、峯の白雪踏み分けて、入りにし人の跡ぞ恋しき」
(元歌は”み吉野の山の白雪ふみわけて入りにし人のおとづれもせぬ”壬生忠岑作(古今327))
「しつやしつ しつのをたまきくりかえし むかしをいまになすよしも
「静や静、賤の苧環(おだまき=糸繰りの道具で繰り返すの意味)繰り返し、昔を今に成すよしもがな」
(元歌は伊勢物語の”いにしへのしづのをだまき繰りかへし昔を今になすよしもがな”しづを静にかけています)
いかに当時の白拍子が猛勉強した記憶力抜群の女性だったかって事ですね!現代の風俗嬢も静御前を見習ってほしいものです!(笑)
無事に大陸に逃げ通せたら、義経が全盛時代を成し遂げたなすよしも=成吉思”を発する事になっていたのかもしれませんね!
義経の首は影武者だった!実際鎌倉での首実検では、夏の暑さのなか平泉から40日以上も掛けた長旅で崩れ判別は出来なかったと言われています!謎だなんて事になってるけど藤原泰衡が似たような人物の首を差し出したってのは明白ですよ!
藤原泰衡が父
秀衡の遺訓に背くなんて有り得ませんから、衣川の戦い自体が鎌倉の侵攻を防ぐための大規模な偽装だった可能性の方が大きいのですが、歴史学者は都合の悪い事はすべて謎として誤魔化してる!
義経は1170年に11歳で鞍馬寺に預けられたが、直ぐ出奔して奥州平泉で庇護された事になっているのですが
平家のお尋ね者を聡明な秀衡が平泉に置くとは思えませんね!直ぐにバレちゃいますもの!
平泉に着てから暫くの間、見聞を広める事も兼ねて当時交易があった大陸へ渡航させたんじゃないでしょうか?多感な年頃に広大な大地を駆け巡ったのが才能を開花させ自在なな戦術を生み出した原点なのかも!若ければ言語習得も早いしね!
私は衣川の戦いの前に2度目の渡航をして成吉思汗になっただと思ってます!
事実は小説より奇なりなんですがね!
源義経=1159年~1189年6月(享年31歳)
成吉思汗=1160年頃~1227年8月(享年65歳~70歳)
ほぼ一緒!
ジンギスカン(チンギスハーン)が頭角を現したのは1190年以降です!それから連戦連勝の怒涛の快進撃が始まるのですから人物が代わったか参謀として指揮した人物が来たどちらかでしょう!
軍事の超天才が時を同じくして現れるものなんでしょうか?私は成吉思汗=源義経説を支持しますね!
源平合戦の実戦経験がモンゴル軍団をより自在に操る術を磨き、頼朝との軋轢が最高権力者にならなければ軍事だけの天才ではいつかは恐れられ誅殺の憂き目に遭う事を学んだのでしょうね!
天皇家に対する忠誠心なのか、東の黄金の国とされる日本に対して何故か見向きもしませんでした!
モンゴル軍が遺恨を残さぬよう支配者層を女子供まで皆殺しにしたのも源平合戦の賜物なのかも!
成吉思汗として相撲を好み大いに奨励した義経のお蔭で、日本の国技である大相撲がモンゴル人に乗っ取られたと思えば正に因果応酬!仕方ない!
この次の場所から義経に敬意を表して”モンゴル大相撲”ってのぼり旗にするべきでしょう!(大苦笑)

なにせ横綱になって国にかえれば大ヒーローで大富豪!日本人とガッツじゃ天と地の違いが入門時から開きがありますわな!
子供の頃からモンゴル相撲で鍛えられたモンゴル人と体力的には日本人力士も違いは無い筈なのに・・・・

死に物狂いと、仕方なく入門したのと違いだけなんでしょうか?